震災はまだ始まったばかりなのかもしれない。

こんにちは。

これから書くことは今日、私が感じたことのメモです。

先ほどアップした記事は一昨日書いたものをアップしました。しかし、読まれる方にとっては、突然毛色の異なる文章であることをご容赦下さい。

これから書くことは、いつもの記事とは違います。嫌なことを思い出される方もいるかも知れません。それでも、やはり考え伝えることが必要と思い、今日感じたままのことを書きます。

私は職業として研究者をしています。仕事の関係で東日本大震災の被災地調査に入りました。既に震災から3ヶ月、私が住む茨城県は瓦屋根が壊れている家屋はあるものの、ほぼ日常を取り戻しています。

現在、茨城や東京では電力需要の問題が関心事であり、早くも津波被害のことは薄れつつあります。

しかし、今日見たものは、震災は始まったばかりなのだと感じさせるに十分でした。

そこには、人々の日常があったのです。下は震災前の宮城県女川駅です。奥に駅ビルが見えます。

そこには町があったのです。

賢明な人々は過去の津波から学習し、備えもありました。下は、駅に続く階段に示されたチリ大津波の到達点です。

しかし、そんなこととは無関係に何もかもなくなっていました。最初の画像とほぼ同じ方向から撮影しています。

上の画像の奥に見えるのが最初の画像にあった駅ビルです。

生活の全てが消えていました。奥には見えるはずのない海が見えています。

まだまだ、復興は始まったばかりです。

そこには、多くのボランティアや懸命にがれきの撤去をすすめる土木作業車の方たちがいました。しかし、被災した家屋の撤去さえ済んでいない地域がたくさんあります。

あり得ない方向を向いた家屋が残っています。

左奥に見えるのが女川原子力発電所です。そのような場所でさえ、横を向いた家屋が撤去されずに残っていました。

今日感じたことは、空が広いと言うことです。空が異常に広いのです。

これはその場にいかなければ分からなかったことの一つです。

そして、震災はまだ終わってなどいないし、多くの人々の努力にもかかわらず、まだはじまったばかりなのだと感じた一日でした。

原子力発電所の問題も重要な問題です。しかし、津波というたった1日の出来事がまだ解決できていないのも現状です。

研究などと言う抽象的なものを通して、このような状況に何ができるのか?より良い社会を実現などと言うのは絵空事ではないか?津波の被害を完全に防ぐなどと言うことは無理です。しかし、少しでも被害を軽減させることならできるかも知れません。でも、それをどうやって行うのか?今はまだ、皆目検討がつきません。

本来であれば、「被災された方々の一日も早い・・・をお祈りいたします」という言葉を書くべきなのかも知れません。しかし、祈っても、願っても、復興は実現できません。だから書きません。私は私にできることをすることしかできません。

いずれ、頭の整理ができたら、またこのような事を書くことがあるかもしれませんが、今日は感じたことをとりとめもなく書かせていただきました。最後までお読みいただきありがとうございます。