一条の家はダサい・・・個性と機能性

こんばんは。さすけです。

突然ですが質問です。

一条工務店の家のデザインってダサいですか?

私が家を建てようと思い始めて色々調べる過程で
・ 一条工務店の家は性能は高いがダサい
・ 一条工務店の家は性能は良いけどデザインは壊滅的
といった内容のブログ・掲示板の書き込みを多く見かけました。

個人的には美的な部分のデザインはあまり気にならない(興味が無い^^;)ので本当にダサいのかどうかはよく分かりません。妻や子供は気に入ってくれているし何の問題も無いのですが、ただ多くの人が言うと言うことはそうなのかも知れません??

家を建てた後に

「さすけの家ってダサくない?」

と言われたときの言い訳を準備する必要があります!!

ダサいことに理由があればダサくないかも知れません!!

私はたばこを吸うのですが、外出した際喫煙所から戻ってくると、娘が「パパくさい~」と大声で言います。必ず、「パパたばこくさい~」と言ってくれとお願いしています。ただ、「くさい」と言われているのでは、周囲の人は「風呂に入っていないのか?」と思ったり、「お父さんも娘に嫌われてかわいそうに・・・」と哀れみの目を向けられたりしてしまいます。しかし、「くさい」と言われている理由が、「たばこ」であることが明確であれば、周囲はそんなことを思わないと思います。

家のデザインも同じです。個人的には別に良いデザインと思っていますが、周りが「ダサい」と言ってきたなら、なぜそのようなデザインであるのかの理由があれば、「ダサくなくなる」かもしれません!!

ということで、本日は家のデザインについて考えて見たいと思います。そして、あわよくば将来ダサいと言われたときのための言い訳を準備しておこうと思います。

ところで、家のデザインって何でしょう?

私は、自分の家のデザインについては機能的・合理的なデザインであって欲しいと考えています。色などはあまり関心(センス)が無いので妻任せです^^;

一方、家に個性を求める人も多くいることは分かっています。カッコイイデザインであって欲しかったり、かわいいデザインであって欲しかったり、ヨーロッパ風のデザインであって欲しかったり、自分の好みのデザイン上の要求があると思います。

家のデザインは合理的であることと個性的であることは両立できるのかという疑問がわいてきます。

個々では外壁の色や質感などは後から変えることも、途中で選択することもできるので置いておきます(お金はかかりますが・・・)。そうではなくて、家の形状や家の基本素材の材質に個性と機能性を同時に求めることができるのかが気になりました。

個人的には、機能的デザインと個性的なデザインというのは、なかなか相容れないものと思います。

個性的なデザインの代表格としては有名な建築家による建築が上げられます。例えば安藤忠雄氏のような世界的に有名な建築家に家を設計してもらえればさぞかし個性的な家を建てることができると思います。

下は安藤忠雄氏が設計した代表作である住吉の長屋です。


(画像:Wikipedia

非常に個性的な家です。しかし、私はちょっと住みたくありません・・・私だけでは無く、なんと安藤忠雄氏も住みたくないようです^^;

以前講義を聴いていたとき、

自分が設計した家に住みたいとは思わない。部屋を移動するのに傘をささなくてはいけないような家に住みたいわけがないでしょう。自分は普通のマンションに住んでいる。”
という趣旨の話をしていました。本気かどうかは分かりません。笑いをとるためのジョークかも知れません。

ただ、これを聞いて、漠然と納得してしまったのです。建築家が建てる家は芸術であり、思想の具現化であって、哲学的な何か(何であるかはわかりません^^;)なのだと思うのです。その思想的な部分に共感した人が建築家に家の設計をお願いするのだと思います。

思想を具現化した家に機能性などと言う価値観を持ち込むこと自体が間違っているのだと思います。おそらくは、個性を最大限追求した家には機能性はないのだろうと思います。結果的に機能的である部分はあったとしても、機能的であるために個性を犠牲にすることはないのだと思います。

そしてこのことは逆も真だと思います。

デザインに機能性を追求した場合、個性は希薄化するのだと思います。

このことは家に限ったことではありません。こういった事例は世の中にあふれかえっています。

例えば、携帯電話の形にはほとんど個性はなく画一的な形状をしています。まあ類携帯電話なんて言うのがあれば、個性的ですが、非常に持ちにくいと思います。
また、私達が普段着ている洋服のデザインというのも形状としては画一的です。対して、パリコレなどで見る洋服というのは洋服というのもはばかられるほどに個性的ですが、日常生活の中であれを着て生活することは不可能です。パリコレの服もやはりデザイナーの思想を具現化下ものであって、その思想に共感した人が画一的な形状の中にその思想を少しだけ加えた普通の服を購入して、パーティーなどに着ていくのでは内でしょうか?

対して、家はある程度の形状は類似していますが、洋服や携帯電話ほどに画一的な形状ではありません。町中を歩いていても、20-30軒に1軒くらいは個性的(変な形の)家があります。

何故かを考えると、おそらく家に求める機能が緩かったからだと思うのです。一般に家に求められ的多機能は雨風を凌げて、地震で崩れないこと程度だったのだと思います。

しかし、要求される機能が増えると、デザイン的制限は増加し、結果的にデザイン上の個性は無くなって行くように思うのです。

例えば、太陽光発電によって発電効率を最大化することを重視した場合、屋根の形状は傾斜35度程度の片流れ以外の選択肢はありません。高断熱高気密な住宅を追求した場合、外気に接する面積を最小化する方向に進みます。結果として総2階建ての箱のような家になります。

で、そう考えて行くと、私が家を探している段階での絶対条件であった、冬温かくてエネルギー消費が少なく、大容量の太陽光発電が乗っている家という条件を示していくと、家の形状は必然的にi-smartやi-cubeと同じ形状になってしまうのです。

仮に一条工務店以外で契約をしていても、おそらく同じ形状になっていただろうと思います。

で、一目見て建てたハウスメーカーが分かってしまう家ってどうなのよ?という批判もあるようですが、将来的に日本のエネルギー需要の逼迫とそれに伴うエネルギー価格の高騰、環境税の導入といったことを考えると、個性的な家はお金持ち以外に建てられないものになっていくかも知れません。

そんなことを考えて、将来の日本の家のデザイン、年の風景はどうなるのだろうと思って調べて見ると・・・・

東京大学とLIXILが共同で駒場に建てたスマートハウスのデザインは以下のようなものです。

どことなく、i-cubeやi-smart等に似ていませんか?というか、別にだから一条工務店の家はすごいなどと言うつもりはさらさら無くて、高断熱高気密、太陽光を求めると結局このような形になってしまうのだと思うのです。

あとは、個性を出すとしたら広い外壁に絵でも描くぐらいしか無いかも知れません^^;

もしかすると、今後革新的技術が開発されて上のような形状は古くさい家の形の代表格になるかもしれません。しかし、現時点で使用可能な技術を用いる限りは、結局このような形になってしまうのでは無いかと思います。

で、そんなことを調べていて、個人的には一条工務店のi-smartやi-cubeの形状は合理的であることが分かりました。私がデザインにもめる物は機能性と合理性ですから、満足なデザインであることが分かりました。

i-smartの発表直後は、「デザインを優先したため」という理由で生活上の機能性を犠牲にするような仕様が多々ありました。ブログなどの噂では外部のデザイナーを呼んで家を作ったとも書かれていましたが、機能性を損ないながら美しさを求めるなどと言うのは論外だと思ったのを良く覚えています。これは、人によって意見が大きく異なることは理解していますが、私は家には機能性を求めていて、ハウスメーカー探しでたどり着いた一条工務店が突然態度を変えて、見た目の綺麗な、個人的には酷いデザインの家を作るのかと思ったりもしました。結果的にはほぼ全ての問題は解決され、美的デザイン優先という路線ではなくなったようなのでほっと一安心です^^

話がそれましたが、結局一条工務店の家のデザインがダサいというのは、美的にはどうかはわかりませんが、私の個人的な美的感覚、すなわち機能性・合理性優先の感覚からは結構良いデザインだと思うのです。

将来、「家がダサい」と言われたならば、すかさず「いやいや、これは合理的に考えて行くとこういう形になってしまうだけで、デザインがダサいとかダサくないとかの問題では内のだよ。はっはっは~」と言うことにします。

あんまり、ダサいダサいと言われたら嫌だな~と思って、将来そう言われたときの言い訳を先に考えて見ました^^;;